2001年3月18日 

礼拝説教題 「捨てられた子」

出エジプト2:1〜10、使徒7:17〜22


エジプトの王はイスラエル人の赤ん坊を殺害せよとの命令を出しました。そんな時代に、モーセは誕生しました。

両親は、隠し切れなくなったときに、赤ん坊のモーセを川に流さざるをえませんでした。

しかし、モーセは不思議と王女に拾われ育てられていきました。このモーセの生い立ちの話は、

この世の権力者による理不尽な仕打ちの中でも、神の導きの中でしっかり生かされることを知らせてくれます。

それ故、多くの信仰者に愛されてきた話です。モーセの両親は、王の命令に抵抗するために手を尽くしていましたが、

これ以上どうしようもないところに追い込まれていました。理不尽さに飲み込まれるようにして

モーセを捨てざるを得なかったのです。「一生懸命やったけど、残念ながらもう無理だ。」

わたしたちもそんな経験を繰り返します。両親は、モーセをパピルスのかごに入れて川に流します。

かごは、操るための舵もなければ、マストもありません。ただ流れに身を任せるしかないものです。

この「かご」は、実はノアの「箱舟」と同じ言葉です。

洪水のときに新しい世界へノアたちを運んだ箱舟のようなかごに託したのです。それは神に託したということでした。

そして神は、「かご」を思わぬ仕方で命へと導いていかれました。

人がどうしようもできない壁を破れるのは、神だけです。

ノアは箱舟に乗りました。両親はかごに託しました。わたしたちも神に導かれる箱舟に乗り、かごに入るのです。

このモーセの話は、「かご」があることをわたしたちに教えてくれるのです。またこのかごがあるからこそ、

困難に向き合う力も生まれます。最後の保証を知り、希望を見失わずにすむからです。

そのかごは、死から命へと運びました。実は、私たちの乗り込んでいるかごには、船頭がおられます。

主イエスは共にいて、死でなく、永遠の命へ導いてくださるのです。

 

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